メイヘム101

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スタートレックの変わりゆく未来像

 テレビを見なくなって久しいが、毎週更新されるドラマやコンテンツを楽しみにするのは、Netflixamazon primeビデオになっても変わらない。今、僕が毎週楽しみにしているのは今年の1月から始まった「スタートレック:ピカード」だ。このために、amazon primeに加入したと言っても良いぐらい2018年の8月にピカード役のパトリック・スチュワートが「ジャン=リュック・ピカードが帰ってくる」と宣言した時から心待ちにしていた。

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 とは言っても、僕自身は「スタートレック」との付き合いは「スターウォーズ」と比べると浅い。シリーズを全部見たのも数年前だ。それまで存在は知っていたし、見たいと思っていたが、シリーズの数が膨大な上にどれから見れば良いか分からなかった。それに加えて、当時J・J・エイブラムスが監督したリブート版「スタートレック」を見たとき、派手なアクションは楽しかったが、正直『こんなものか』といった印象を受けて、初期の作品を手に取ろうという気持ちにならなかった。今とは違い、レンタルDVDが主流だったから、配信サービスと違い『試しに見てみるか』というハードルが今よりも高かったのもあると思う。

 だが、数年前にNetflixに加入すると、そこには今までのシリーズ「宇宙大作戦」から「エンタープライズ」まで全てが揃っていた。それに加えて、独占配信している「スタートレック:ディスカバリー」まであるのを見て、僕は「宇宙大作戦」から広大な最後のフロンティアを冒険することにした。

 そして、見事にすっかりハマってしまい、「ヴォイジャー」にたどり着く頃にはヴァルカン式挨拶のハンドサインも自然と出来る様になった。だが、エピソード数が膨大なため(「宇宙大作戦」79話、「新スタートレック」178話、「ディープ・スペース・ナイン」176話、「ヴォイジャー」172話、「エンタープライズ」98話、合計で703話)、これらを見るだけで実に一年以上かかった。それに加えて最新作の「ディスカバリー」や「ピカード」、プラス劇場版に費やした視聴時間を考えると若干気が遠くなる。

 僕がJ・J版のリブートとは違い、なぜここまで「スタートレック」の世界にのめり込んでしまったかというと、多くのファンと同様に夢見心地に近い様な世界観に魅了されてしまったからだ。

 「スタートレック」を一言で説明するなら『牧歌的』や『理想的』といった言葉が似合うだろう。例えば最初の「宇宙大作戦」は1966年に始まったシリーズだが、このシリーズにはニシェル・ニコルズ演じるウフーラという士官がいる。彼女は女性でアフリカ系なのだが、当時は公民権運動があり、その10年ほど前にはエメット・ティルの殺害事件があり、さらにウーマンリブ運動も活発になり出した頃だ。つまり、世相を考えるとありえないことで(それ自体が異常だと思うが)多くの人間がその光景に驚いた。だが、エンタープライズのブリッジにそれを気にする人間はいない。彼らが生きているのは未来でその当時の現在ではなかったからだ。

 その「スタートレック」のダイバーシティ感はその後も、シリーズの根幹と言って良いぐらい重要な要素で、「宇宙大作戦」の約20年後にスタートした「新スタートレック」でも色濃く描かれている。シーズン1の最終回「突然の訪問者(原題The Neutral Zone)」で20世紀末からコールドスリープしていた人間が登場する。彼らは当時では治せない病のため、コールドスリープしていた。そして、目覚めた24世紀ではその病気は瞬時に治せるもので、彼らはすぐに全快するのだが、同時に24世紀という時代に不安を抱えていた。株取引などで生計を立てていた男は貨幣経済がなくなっている事に絶望するし、専業主婦として生きていた女性は性差別がなくなった24世紀で自分がどう生きていけばいいか悩む。そんな彼らはピカードに『何を目的に生きているんだ?』と問いかけると、ピカードは『我々は自己の向上のために生きている』と答える。

 最初にテレビを見なくなったと書いたが、その理由は『見ていると辛くなる』からだ。現在日本のテレビでお茶の間に流れている「エンタメ」の多くは他者を嘲笑するものが多い。容姿や肌の色、人より髪の毛がなかったり、肌の色が濃いだけで人を指差しゲラゲラと笑ったりするのを見て、いつからかそれが辛くなり、僕はテレビを消した。それから、10年近く経つが、たまに親とかが見ているテレビを横目に眺めると、その傾向は今も変わっていない様に見える。「新スタートレック」は1987年に始まったシリーズで、今から30年以上も前の話だが、それらで語られている多くのことは今の我々が見ても古びていない話ばかりだし、逆に今でこそ見るべきものではないかと思う。特に子供や若者は。

 しかし、その『ユートピア』的な世界観も時代を経るとともに変わっていったのも事実だ。2001年から放送を開始した「エンタープライズ」では、911イラク戦争など当時の世相もあってからか、後半はやけに好戦的な話が多く、「スタートレック」の様々なエピソードで語られた『理想的』な面が崩壊していく様に感じた。

 そして、2020年の今年に始まった「スタートレック:ピカード」は旧作品で描かれた『理想的』な世界は鳴りを潜めていたが、そこで描かれているのはまさに今の時代に合った「スタートレック」だった。

 時代は劇場版の「ネメシス」から20年後の24世紀末、宇宙艦隊を退役したピカードは実家のシャトーでワイン造りをしながら引退生活を送っていたが、彼の前に一人の少女が現れて、彼は再び冒険に出ることになる、という物語なのだが、この物語で描かれるピカードは完全に老人だ。かつての指揮官ぶりも衰えて、宇宙艦隊の最高指揮官からも邪険に扱われたりと、(言い方は嫌いだが)『老害』扱いされている。

 それだけじゃなく、今作でピカードとともに宇宙に出るクルーは皆個人に問題を抱えている。アルコールや薬物の中毒だったり、家族関係が悪かったりと様々だ。

 今までの「スタートレック」に登場するクルーはエリートばかりだった。時々、レジナルド・バークレーの様なキャラクターも出てくるが(彼はその後凄まじい成長を見せる)、基本優秀で強靭な人物が多い。実際の宇宙飛行士にもその様な素質が求められる。だが、人間は完璧じゃないし、人生はゲームじゃないから色々上手くいかないこともある。

 近年、名誉負傷章であるパープルハート章をPTSDの退役軍人にも授与するべきだという議論がアメリカでは起こっていて、実際パープルハート章は肉体を負傷した兵士にしか与えられていない。

 以前トランプもPTSD を患った人間に対して批判的な発言をしている。

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 そんなマッチョイズムが根強いアメリカで精神的に問題を抱えた人間達を主人公にドラマを展開するのは、このシリーズが考える新しいダイバーシティの形なのだと思う。

 スティーブン・ピンカー著の「暴力の人類史」の中で『第二次世界大戦以降、大きな争いがない人類は少しずつ良くなってきている』と書かれている。その通り、人類は少しずつだが、良くなってきている(と思いたい)。もちろん問題も多い。人種問題、性差別、精神疾患や貧困。それらを一括りに『自己責任』と責任を転嫁してはいけない。そのためにも我々は「スタートレック」をこれからも見続けなければいけない。あれは世相を映す鏡なのだから。確かにあの作品で描かれた『牧歌的』な未来は時代遅れかもしれない。だが、「新スタートレック」の最終回「永遠への旅(原題All Good Things...)」でライカー副長が『あれは我々の未来じゃない、いくらでも変えることが出来る』と言った様に我々が現在を生きる以上、未来は不確実なのだ。